2014年06月16日

幸せの種に問いかけるのは小夜子(その世界では彼女を「タロットの魔女」と呼んだ。)



人は誰でも、「幸せになる」ために、
生まれてくるのです。




満足感・・・。


楽しみにしていた「続・タロットの魔女」は、きちんとテーブルの上で本を開き、背筋を伸ばしてイスに腰掛けて読み始めた。
毎日のようにパソコンに向かっている生活をしていると、本を読む時間は至福のひととき。デジタルではなく、アナログ。

集中してその世界に浸り、読了した後には、再度お気に入りのシーンをパラパラとめくり直す。
特別に気に入った数行には、何度も何度も目を走らせる。
そしていつもの事だが、目頭が熱くなる。


本に話しかけるように、
「うん。満足。」
――――と、ひとり言をつぶやき、深いため息をつく。

「タロットの魔女」と「続・タロットの魔女」


私のため息は、心が満たされて安堵感のようなものでいっぱいな時に出る。それは、子供の頃からの癖のようなもの。

両親には心配されて、「どうしたの?芳香ちゃん。深いため息なんかついちゃって。」と、そのたびに聞かれたが、その気持ちを説明することはできなかった。

小学校に上がるまでは、ちゃん付けで親に名前を呼ばれていた私。遠い昔の子供時代を振り返ると、両親の愛は大きかったのだと、それが当り前として育った私は幸せ者であることを認識する。

たった今、両親に「どうしたの?」と聞かれれば、「幸せで、満足しているんだ。」と、ため息の理由を答えられるのだが。(現実的には、恥ずかしくて言えるはずもない。)



本を選ぶときには、大抵レビュー(他の人の感想)を参考にするか、新刊案内のカテゴリで本の帯に書かれる内容を参考にする事が多い。

ただ、"後編"とか"続編"というスタンスの本の場合は、読みたい理由が単純明快なのだ。このストーリーの、続きを読みたい。純粋にそう思って、手に入れた続編の本を読み始めるに決まっている。

だから「続・タロットの魔女」は、あえてテーブル席で読んだのだった。ソファーでくつろぎながらの読書、就寝前の枕元での読書、電車やどこかの待合室での読書。どのスタイルも、好きだ。

でも、私の中の小夜子の世界に対する意気込みは、相当なものだった。テーブルとイスというセットは、私を一番疲れさせない体勢だから、あえてそうした。



昨年の秋に、爆弾発言を残して立ち去った長谷川洋美先生だったが、そのシーンにとても満足した。おそらく、他の読者にはその意味は分からないだろう。

しいて言えば、この登場人物に固有名詞は必要なのか、と思う人はいるかもしれない。私にとっては、長谷川先生の愛を感じるひとコマに仕上がっていた。



そしてもっとも感動した場面は、たったいま目を通してみても、目頭が熱くなる。サラリと、その場面は展開した。

前篇である「タロットの魔女」の中で、私の気がかりだった2人の関係。
この名場面は、ページのくぎりも絶妙だった。2人の会話は、2ページにまたがっている。

それに、このシーンの余韻に浸りながら、締めくくりを噛みしめられるのがとても嬉しかった。


 ***  ***  ***  ***


その世界では「タロットの魔女」と呼ばれる小夜子に、心の内にあるものを持ってくるクライアント。小夜子は、クライアントの相談内容を「幸せの種」だと言う。つまり、苦悩や悩み、不安などが、実は「幸せの種」なのだと。

種をどう育てるべきなのか、自分には分からない事もあるだろう。なぜこの種を自分が持っているのかさえ、分からない場合もあるだろう。

だから、小夜子は聴くのだ。

「今日は、どのようなことを占いますか?」

そして皆、これからの自分の人生を、本気で生きて行く。
幸せになるために。


「続・タロットの魔女」の帯(表)


今宵も魔女の言葉を求めて幸せの種を抱いた、
迷える子羊がやってくる。





posted by yoshikachan at 16:08| 続編でも健在の小夜子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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